" 海外で、たとえばサンフランシスコで毎年、開かれる「地球物理学連合」の国際学会に共に出席し、ぼくが Dr.Chiharu Aoyama is my spouse.(青山千春博士はぼくの配偶者です)と話しても、アメリカ人もフランス人も中国人も「そうですか」で終わりです。
自立した科学者ですから、夫婦だからうんぬんという眼で、あるいは青山繁晴の奥さんだからうんぬん、という眼でみるひとには、これまで一度も、国際社会の仕事の場においては会ったことがありません。
ところが日本では、たとえば講演で配偶者であることに触れると、笑いが漏れて広がるのが常です。
なぜ公私の別が付かないのか。
なぜ配偶者を自立した一人の人間として、なかなか見にくいのか。
これは、日本の全体の課題ですね。世代も立場も超えた、全体的な課題です。
ぼく自身のなかにも、ほんとうは同根の課題が存在している恐れもあると考えます。"
自立した科学者ですから、夫婦だからうんぬんという眼で、あるいは青山繁晴の奥さんだからうんぬん、という眼でみるひとには、これまで一度も、国際社会の仕事の場においては会ったことがありません。
ところが日本では、たとえば講演で配偶者であることに触れると、笑いが漏れて広がるのが常です。
なぜ公私の別が付かないのか。
なぜ配偶者を自立した一人の人間として、なかなか見にくいのか。
これは、日本の全体の課題ですね。世代も立場も超えた、全体的な課題です。
ぼく自身のなかにも、ほんとうは同根の課題が存在している恐れもあると考えます。"